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春になりました、、の憂鬱と研究・講義のあれこれ、

1)春になると限ってハラハラドキドキの例年の研究費の憂鬱。

 毎年4月には科学研究費が当たったのか外れたのか(当てもんでも抽選でもないですが、こちらも必死で書いて申請しますが・・)で、寿命が縮まる思いです。今のところ(まだ出ないものもあり)基盤Bと新たな新学術が加わったのですが、ホッとするのも一時。絶対に落とすはずのない落としてはならない・・と思っていた池野准教授の○○○○が無かった。私もびっくりです。思わず池野先生とともに苦笑(心のなかでは、手を抜いただろ~と叫びながら)。少しでも大切に集めて、少しでも大事にしっかり使う、、これ大原則。

2)春になると講義の憂鬱。

 講義が好きか嫌いかと言われれば、教員免許を持っているわけでもなく自信もないのでいまだに好きではありません。とくにコロナ禍で、WEB講義と対面のハイブリット。教室に出校している学生さん半分とZOOMの向こうに学生さん半分、にたいして話しかけるだなんて、吉本のなんば花月で「漫才を劇場に来たお客さんと、テレビ中継でもお届けします・・」とは訳が違うのだからスムースに行くわけありません。しゃべって、画像データだして、途中で動画を動かしてみたり、音声さん聞こえてますか?、までやって・・。思い切って全部WEBのほうが絶対に面白おかしく?講義できるのに。

一人プロデューサーと出演者は厳しいです。いつも以上に憂鬱です。録画で配信!オンデマンド!のほうがよほどに楽ですが、自分の録画を見るのも苦痛が伴います。

最近、自分の顔を鏡で見るとドーパミンが出るという論文が報告されましたが、私は確実に鬱になります。 

3)講義があると疲れます、頭も回らないの憂鬱。

 たまに講義しながら、そうだこれ!・・とか アイデアが生まれることがあります。まじめに講義しているのか!と叱られそうですが、いろいろ考えながら講義すると別のことを考えることもあるのです(と言い訳)。講義中に浮かんだアイデアをメモすることもできません。終わると忘れます。講義を端折って早く終わると怒られます。講義中に叫ぶと、今度は学生は何のことかわからなくなります。

 昔、講義中に板書しながら、ぼそぼそとつぶやく先生がいました。今だったらアクティブラーニングになっていないとか、各方面からお叱りを受けること必至です。その先生、ぼそっと「・・と言って教えているけど、これもあるよね。でも、最近こんな話もあったっけ・・」とまったく違う世界に内容がワープすることしばしば。ついてゆこうと頭を回すのですが、何のことやら・・・状態。しかし案外そういう話が、学生時代に新鮮に感じて、今でも覚えていたりします。ふと何かの話とつながって、あの話はホントだったのだ・・とか、○○先生の仮説は一部正しかったんだ・・とか、知らぬ間に自分の仮説になってしまっていることをあらためて反芻したり。

 出来上がった講義だったらWEBで落ちてるもっと良い講義を聞いてよ、国試対策予備校の講義のほうが遥かにおもしろいかもよ、と思うのですが。余裕と余談と一人ボケ突っ込みも出来ない講義はやはり憂鬱です。講義は一期一会のもので、突然先生がいなくなっても、別の話でもいいじゃない・・が許されない、今の講義は憂鬱です。おまけにWEB化したことで、録画まで取られている。講義は、教員も学生も思考を巡らせる場ではなくなってしまい、憂鬱です。 頭の中、大脳新皮質は活性化しない”アクティブ”にならない、思考ではなく言葉のみが飛び交うアクティブラーニング化は憂鬱です。ハイブリッドが良いのは車だけですね(講義はいかん・・)。


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